冒頭から惹き込まれた。
MLBメジャーリーグ、ニューヨーク・メッツのホームグラウンド「CITI FIELD」。
大観衆の前で、ユニフォーム姿に野球帽を被った初老の男性が、車いすに乗りながら
ヴァイオリンで「星条旗よ永遠なれ」を演奏している。
クラシック音楽史上最も偉大な演奏家の一人であるヴァイオリニスト、イツァーク=パールマンである。音楽の分野だけに限らず、スポーツの世界などでも、神童が現れる度に「天才」という言葉を目にするが、真の天才にこの言葉は不似合いだ。
このドキュメンタリーは、イスラエル生まれのヴァイオリニスト、イツァーク=パールマンが、いかにして世界的ヴァイオリニストへと駆け上っていったのか、また演奏家としての心構え、指導者としての哲学など、大変貴重なメッセージが随所に散りばめらた近年まれにみる素晴らしい番組だ。
兎に角出てくる面々がすごい。チェリストのミッシャ=マイスキー、ピアニストのエフゲニー=キーシン、マルタ=アルゲリッチ、指揮者のズービン=メータ、ポップス界では、ビリー=ジョエル、そしてオバマ前大統領などなど。
そして何よりもパールマンを始め登場する人物のメッセージのひとつひとつが、心の奥底に深く突き刺さった。
番組の内容を事細かいに書いていきたいこところだが、そうすると長くなってしまうので、1「クラシック音楽にあまり馴染みのない方にとって」、2「演奏家、指導者にとって」、この2つの目線でご紹介していこうと思う。
1、クラシック音楽にあまり馴染みのない方にとって。
「クラシック音楽は敷居が高い」と、敬遠されがちなのは今に始まったことではない。
一方で、クラシック音楽人口を増やそうと、本屋にはあの手この手でアプローチの仕方を変えて並ぶ解説書、やさしく丁寧すぎるほど砕いて紹介する番組を多々目にする。
しかし、これらの類は、なぜか印象や記憶に残りにくい。(少なくとも個人的には)
ところが、このドキュメンタリーは、製作者が端から難しいことをわかりやすく解説しようと思って作っていない。端的に言うと、「本質」をそのまま伝えている。
どんな本質かというと、クラシック音楽だけに限らない、普遍的な本質。
つまり、歌舞伎でも柔道でもラグビーでも、すべてのことに通じる大切な「何か」が
このドキュメンタリーから見受けられる。
いくつか紹介してみよう。
①ホロコーストと音楽。
パールマンが故郷イスラエルのテル・アビブにあるヴァイオリン工房を訪ねたシーン。幼少期に世話になっていたお店で、現在は息子が2代目として切り盛りしている。壁には、少年時代のパールマンと先代の主人が肩を並べて写った白黒写真が大事そうに掛けられている。
世界中から修理や注文依頼が来るこの工房。パールマンはある一つのヴァイオリンに目をとめた。
ワルシャワ出身のユダヤ人ヴァイオリン製作者「ヤコブ=ツィマーマン」が作ったもの。ナチスドイツのワルシャワ侵攻までアマチュア男性が弾いていた。
彼はヴァイオリンを戦禍から逃れさせるため、イスラエルの友人にこのヴァイオリンを託したという。
工房の主人がこのヴァイオリンを開けてみると、中の板には『ハイルヒトラー 1936年』と『ハーゲンクロイツ』が描かれいた。
このアマチュア男性が地元の楽器屋に修理を依頼した際、勝手に書かれたものだという。彼は死ぬまでそれを知らずそのヴァイオリンを弾き続けていた。
10数年前にヒットした「戦場のピアニスト」もまた、ホロコーストから逃れるピアニストの映画であるが、第二次世界大戦当時、アウシュビッツ収容所などでは、
ナチスの指令により収容所内にオーケストラが作られ、楽器を演奏できるものは
命拾いしたという
10数年前に私はウィーンから夜行列車に乗り、アウシュビッツを訪れたことがある。もしも『地獄』が存在するならば、それはあの世にではなく、おそらくそここアウシュビッツにあると、言葉にならない衝撃を受けた。
しかし当時、収容所の人々にとって音楽は唯一の救いだったようだ。
ヴァイオリンの音色を聴いていると、例え5分でも収容所にいることを忘れられたという。
②「世界を少しだけ美しくしてくれる。」 (オバマ前大統領の言葉)
2015年、オバマ前大統領はある祝賀会でパールマンについて、本人を前にこう語っている。
「パールマン氏はかつて、どんな音が好きかと問われ
目を輝かせて答えました。“玉ねぎを炒める音”と」
パールマンの料理好きな一面を冗談を交えながら紹介しつつ、彼の音楽については・・・
「パールマンの演奏は曲の魂をむき出しにし、超越的な存在すら感じさせ、
世界を少しだけ美しくしてくれる。」
と語っている。
2、演奏家、指導者にとって
① 音楽は説明不能。
パールマンは演奏活動だけでなく、後進の育成にも精力的に取り組んでいる。
若者を集めて開かれたあるレッスンの中で、彼は生徒たちに向かって
「なぜ奏者によって感動的な音が出たりそうでなかったりするのか?」
と問いかけ、
自ら「私には説明ができない」と答えている。
そして
「でも説明不能なことがあるのは良いことだ」と付け加えている。
パールマンは、「音楽の可能性や持つ力には限界がない」と認識しているようだ。
また、自身の教育活動をこうも評している。
「演奏活動だけでは、成長できなかった。教えることでそこから自分も多くのことを学べるのだ」
② 美についての話。
パールマンの音色は、温かく艶やかで表情豊か、まるで人間の歌声の様だ。
彼の音色が一体どこから来るのか?
パールマンはこう語っている。
「美しい音色を奏でる人とそうでない人の違いは?」
「それはその音色が聴こえるかどうか。」
「頭の中のコンセプトが音となって表れる。」
「それが聴こえなければ表現はできない。」
・幼少期と病気
パールマンは、1945年イスラエルの首都テル・アビブに生まれる。両親はポーランドから移住したユダヤ人で(母はポーランドのユダヤ人隔離地区で生まれ育った)音楽とは全く無縁の生活を送っていた。
番組の中でも話していたが、ヴァイオリンを始めたきっかけは、3歳の時にラジオから流れるヴァイオリンの音に魅了され始めたそう。4歳でポリオに患い、下半身が不自由になってしまう。その後は主に車いすで活動している。
・パールマンの奏でる音楽
70歳を迎えた(オンエアー当時)パールマンの表情は終始暖かく味があり、やさしそうなおじいちゃん。
彼の音楽を言葉で表すのは難しいが、彼のその表情を見ていると、まさに彼の奏でる音楽そのもののような気がする。
ちなみに、番組内で流れていたマルタ=アルゲリッチとのバッハの録音はこちら。
個人的に最も印象深かった演奏。
https://www.amazon.co.jp/dp/B01GUKIYZG/ref=pe_492632_159100282_TE_item_image
最後に、この素晴らしいドキュメンタリーを製作してくれた
Voyeur Films(アメリカ)にこころから感謝したい。
あ、もちろん買い付けてくれたNHKにも。