「梯剛之&Wolfgang Davidデュオリサイタル」オーストリアメディア評

2016年1月23日にオーストリアのリエンツで行われた梯剛之氏(東京音楽院芸術監督)とWolfgang  David氏によるデュオリサイタルの批評が「オストチロル紙」に
掲載されました。
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————————————-(以下、日本語訳)——————————————–

失われた音はなかった

名は体を表すーウォルフガング・ダヴィッド

実際彼をダヴィッド・ダヴィッドと名付けても良かったのかも知れない。彼の信じられない程の音楽性を、聖書のダヴィデ王に因んだ名で二度重ねて強調するために。

プログラム冊子でヴァイオリンの天才ダヴィッドがどのような世界の舞台に登場しているのかを見れば、彼の年間40回から50回に及ぶ演奏会の1つがこのシュピタルキルヒェ・リエンツで催された事にいささか愛国的な誇りを持っても良いだろう。彼の魂のこもった演奏を楽しむことができるのは、天からの贈り物だ。数年前にそれを経験した人たちは、今日もやってきた。ヴァイオリニストだけでなく、彼が今回携行したヴァイオリンもまた名器である。クレモナの名工カルロ・ベルゴンツィによるもので、オーストリア国立銀行から貸与されている。

彼は生後間も無く失明した日本人の若いピアニスト梯剛之を友好的に舞台上へ導いた。彼がコンサートグランドピアノに触れると、そこからは彼は家に戻ってきたかのようだ。ここが彼の世界であり、そこで彼は信じらない程の能力を発揮する。外の世界の視覚的な像を持っていなくても、触覚、聴覚、そして内面の感覚が、彼の才能に恵まれた指に流れ出す。晴眼者にとってはどうして盲人がこのような高度なピアノ演奏ができるのかということは想像を超えている。ウォルフガング・ダヴィッドも全てを暗譜で演奏した。彼は控えめに「面倒な譜めくりの手間が省けますから」と言った。

溢れる信頼感が、2人の芸術家による音楽を調和へと導く。自らの幸福感に寄り添いながら、彼らは聴衆に贅沢な音楽による心地よい集中をもたらしたーどの時代の音楽であっても。彼らの新しいコンサートレパートリーのうちの1つはウォルフガング・アマデウス・モーツアルトのヴァイオリンソナタ変ホ長調KV481である。その中のアレグレットの楽章: 何というテンポ、何という粒立ちの良いパッセージ、何という完璧さ!脱帽のモーツアルト!

その後は一転して、ほとんど魔法のようにロマンティックな響き。ガブリエル・フォーレのイ長調ソナタ作品13のアンダンテは映画のラブシーンのBGMにしても良さそうな位だが、第3楽章の息を飲むようなテンポはスキーのものすごい勢いの滑降を思い起こさせる。この大変な速度にも関わらず2人の音楽家のうちの1人が「不本意にも脱線してしまう」危険は少しもなかった。その当時の音楽界にとっては画期的であったであろう情熱的な作品は、見た目は。何の造作もなく、全く音を外すことなく演奏された。
後半はベートヴェンのソナタハ短調作品32/2。スケルツォでは、あたかもそれぞれの楽器が重要な知らせを伝えようとしているかのようにお互いに注意を要求し、2人はとても興味深い対話に引き込まれていく。フィナーレのエネルギーに満ち決然とした、コントラスト豊かな旅立ちの予感に聴衆は終わりなき拍手を贈った
それへの返答は、3度とも様々な「愛」にまつわるものだった。金細工のように羽毛のように軽やかに砂糖が振りかけられたかのようなクライスラーの愛のソナタ、プロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」の試食用サンプル、そしてエドワード・エルガーの「愛の挨拶」によってこの輝かしいコンサートの幕は閉じられた。
稲田